家族終了 酒井順子著
タイトルの「家族終了」はインパクトが強い。いつの間にか日本では家族終了状態が進んでいる。先日も友人と話していて気づいたのだが、親戚の減少とその交流の希薄さだ。私の幼い頃は両親の親戚との交流は頻繁であった。祭りや花火大会等のイベントには人を招いて料理を出すのが当たり前だった。そのために多くの食器や普段はあまり使わない広い畳の部屋もあった。今ではそれらを使うことはほとんどない。しばらく前から国内で騒がれている人口減少、出生率の低下の行き着く先は希薄な人間関係である。今では地方都市さえ希薄な人間関係となり各町内で組織される会の解散は当たり前である。
著者の発する言葉は胸元に突きつけられる。創設家族もなく、生育家族の存続さえ風前の灯火。老年期に入ってようやくことの大きさに気付く。今更取り返すことのできない過去の時間ではあるけれど。
「事実婚ってなあに?」「新しい家族」の章はとても興味深い。事実婚カップルは確かに多くはなっているが地方ではどれほどの割合であろうか。著者は東京暮らしだから同世代の人達に事実婚が多い、というのは正確なのであろう。また、LGBTに対する意識は浸透していると書いているが果たしてどれほどの物であろう。確かに昔に比べれば差別感は薄くなったのだけれど。横浜で暮らす友人が父兄会(母姉会)でパートナーの呼称は未だに「主人」と使う方が普通の印象を持ってもらえて楽だ、なんて話していたのを思い出してしまった。
日本は選択的夫婦別姓すら、「家族の一体感や絆が失われる」ということで認められもしない。フランスのPACS(民事連帯契約)など同性、異性に限らず共同生活を送る人が夫婦と同様の権利を得られるような制度がヨーロッパ諸国には存在しており出生率を高めている事実もあるのに日本では法律結婚に拘り続け出生率は低下するばかり。
家族の形態について多くのことを考えさせられる内容であった。周囲を見渡せば地方都市も家族終了間近なのだ。